だれよりも、自分が優れている場合には、そのグループをでなければならない。

というルールを聞いたことがあると思います。

思うと、ものすごく苦労して仕事をこなしている人は
その人のできることよりも、仕事の量もしくは質がマッチして
いないのではないか、ということを思います。

今の仕事が大変で、何かしようという気がおきないならば、
その不一致がおきている可能性があります。

仕事を変えてみるのもいいのではないでしょうか?

金曜日の夜、終電を逃して
仕方なく並んだ
深夜バスも定員オーバー過ぎて、乗れなくて
タクシーで帰るような人生は
仕事を楽しんでいるとは
言わないと思うのです。

死んだ人のために時間を使ってよいものか。残された時間をどう生きるか。

限定局面から発想して自分の生き方についてもう一度考える。

ある人の配偶者と子供が、犯人によって殺された。
殺された配偶者も、殺された子供も帰ってこないんだけど。

  • 社会がよくなったところで、
  • 犯人が死刑になってもならなくても

死の意味は、死んでしまったらおしまい。絶対に戻せないのが死であって。
その死は、交番の掲示板に書かれた昨日の管轄内での死者1名と少年に殺された1名とは同じなわけで。
(誰かがドラマチックに扇動しているかも知れません。)

残されたある人は、どんなことをするだろう。

どうしても犯人を自分の手で殺したいなら、確実に出所できるぐらいの量刑にしておいて(被害者の遺族が決めることではないが)外の社会に出たころに復讐を自分の手ですればいいだけのように思う。まぁ確実に自分の人生も棒に振るが…。
そこまでするなら、自分の人生を自ら終わらすという手もあるし。

どの道、質的には、どんな刑罰を犯人が受けようと、自分の手で犯人に復讐したところで何も変わらないのだ。
(映画なんかでは、犯人を殺す瞬間に、犯人が被害者を殺した光景が自分の中でオーバーラップしてなんてシーンがあるけど)

犯人が捕まらないから、懸賞金を出さない遺族は、被害者のことを愛していなかったのか?

情報提供のビラを配らないのは、被害者遺族として失格なのか。
被害者の部屋をそのままにしておかなくてはいけないのか?
毎日、被害者の分のご飯を作るのが愛なのか。

被害者がいわゆる被害者像というか、
何かに縛られているようにも見える。

犯人を許してしまったら…

選択肢としてあるのは、

  • 少年事件の死刑適用可能性への道筋をつけること、被害者、被害者遺族の広い意味での救済
    • (性的犯罪者のミーガン法のような今後の類似犯罪を防ぐことが可能なことへの波及ができるような犯罪であれば、そのような法律をつくる働きかけ)
  • 復讐、あだ討ち
  • 自殺、出家
  • 新しい人生を踏み出す。

生き残った人の人生は、どうあるべきか。

ここまでが、ケーススタディでした。

極端に限定されたケースで考えると、そのように限定されていない自分の置かれた状況が考えやすくなります。
なんとなく不安もなく、生きているのは、自分の置かれた状態が読めていないからかもしれません。

あなたは、明確な決断を求められず、したつもりもなく生きていませんか?
青い錠剤か、赤い錠剤をのむかなんて、誰も聞いてくれないのです。

また、「誰かのため」、「正しさ」という言葉で自分を動かそうとするのは、選択肢を選ぶ際に簡単にゆがみを与えてしまうように思えてなりません。あなたは過去の選択時に「誰かのため」、「正しさ」という言葉で自分の判断にいたる条件づけをゆがめませんでしたか?

あなたが楽しい、幸せだと思えない人生に何の意味があるのか?
戻らないものを欲しがることに何の意味があるのか?

何を恐れているの?

恐れていること自体悪いことではない。
何に恐れているのかわからないで漠然とした不安感は、理由もなくあなたにブレーキをかけます。

何かを恐れることは悪いことではないです
何に恐れをいただいているかをはっきりさせないことのほうが問題です。

別れ

秘密の発覚

はっきりさせてこなかったこと

何を恐れているかはっきりさせませんか?

問題を問題とみなさないというの現実逃避だと思います。

いままでやってこなかったんだから、そのことを嘆いても何にも変わらないですよ。

やるべきことが山のように重なっているのは、いままでやってこなかっただけのことでしょう。

やらなかったら、終わらない。
リストにして一つずつ片付けましょう。
自分の弱さと向かい合いつつ。

いやな客は、徹底的に遠ざけろ。

 昔、芸能人がラフな服装で高級服飾店に行ったときのこと、海外だったか、何かの理由で自分の知名度、金持ち度合いが伝わらなかったようで、店員に金持ちの扱いをされなかったことに立腹。
 自分の財力にものを言わせて、その店の商品を買い占めたところ、店員は、態度を豹変させ、ひれ伏すように対応したという。

 結局、その芸能人は、それが爽快であったかのように話した。

 お互い間違ったのではないか?

 芸能人は、そのお店できちんとした扱いをされたかったら、金持ちっぽい服装でいけばこじれることはなかった。
 スーパーマーケットではない高級服飾店において客は、常に値踏みをされていることを知らないわけがない。
 立腹したところで、店舗をあとにすればよかったのになぜか、不必要な商品を買った。自分に財力があることを見せ付けるためだけに。
 店は、その顧客が立腹して商品を買い占めることに対して拒否しなかったのはなぜか。

 そんな客に自分たちの商品を売ってしまっていいのか。
 売上は立つかもしれないが、今後この客は二度と来ないし、商品を不必要に買い占めているだけだ。

 たとえば、会員制ビジネスであれば、一人一人の客からは基本的に会費以上の売上を立てられない。
 そこで通常であれば、アップセル、クロスセルに励む。

 マイナス方向に考えると、ある会員が他の会員の気分を害することや不利益になるのであれば、即刻その会員を削除しないとその会員からの上がってくる売上よりもその会員が巻き起こすマイナスの方が大きくなってしまう。

 お客様だからといって売ってもいけない。
 お客様だからといって自分たちから遠ざけることをわるいことだと思ってはいけない。

恨みをはらすために時間を使うな。

 お仕事で、ミスが見つかった。犯人捜しはよくないなんていいながら、工場では、製造ミスの部品をさらし首と呼びさらし者にしているし、(あれは、あくまでミスを恨んで人を恨まずなのかもしれないが)原因追求とそのミスをした行為者の批判に安易に流れてしまう。
それで解決したなんて思う。それでは、あなたの力はつかない。
 私は、「誰かを恨んだところで、このミスが解決するのか?」と聞く、
 解決したあとに処分されないのは、おかしいと思うかもしれないが、
ダメなやつの仕事もチェックして未然に防げ
ダメなやつに仕事を回さない堤防を作れ
ダメなやつがミスを犯せないシステムを作れ
ダメなやつが失敗してもリカバリーできるように工夫しろ