無理か、無理ではないかを決める基準

あなたの周りに自転車に乗れない人が何人いるだろうか。

もし、あなたが友達に自転車に乗れないのだが、乗れるようになるだろうかと相談を受けたらどう返すだろうか。
きっと乗れるようになるはずだと返すだろう。
たとえ時間がかかったとしてもよほどのことがない限りできることだと思う。

このように、日常にありふれたことは
多少の訓練が必要だとしても、そんなことのことはさっぱり忘れて、簡単だと思う。
誰もが、いきなり自転車に乗れる分けないのだ。

この反対も起きているのではないか。

何かをやろうと思って、訓練の厳しさや厳しさを想像してあきらめてしまっていないか?

あの手の届かなかったブドウは、すっぱいに違いないと思うでもなく
もともとほしくなかったんだと思いこむことで自分が冷静でいられるなら、
それでいいんだ。

僕は、君の周りでシャドーボクシングをするね。
一生懸命にね。
いや、君の闘争心に火がつくかもしれないかと思って。