疲れることと成果があがること一緒になっていませんか?

疲れることをすれば、成果があがるという勘違いをしていませんか?
何か新しいことを始めようと、事業の立ち上げ時や作業フローが明確になっていないときに
確かにどうしたらいいんだろうと考えていろいろやってみてます。

ここで苦労することには、何の問題もないと思います。

ただし、ある程度固定化された業務内でやたら大変だけど、成果が出づらい
という局面に出くわしたら、それは我慢してやるというのもあるかもしれません。

そんな人は、そんなにいないだろうと思うかもしれません。

 そんな誰もやりたがらない、つまんない仕事を、イヤイヤやっていませんか?

 それが仕事だと思い込むのも自由です。
 
 自分の提案なんて聞き入れてもらえないだろうと思う人も
 実際に、聞き入れられなかったという人もいるかもしれません。

 それが原因で職場を変更するという方もたくさんいらっしゃいます。
 現実に、よく起きていることだと思います。

つまんない仕事でも、成果につながるのなら継続する。
詰まんない仕事で、成果につながらないのならやめるか・仕事を変える。

変え方は、詰まんないけど一瞬で終わるようにする。
詰まんないを面白いに変える。

私はどうですか?

1対1で話すときに相手の評価をするようなことをいうのは若干はばかられる。

自分についても卑下しながら話せば話せないこともないし。
大きなくくりで話すというのは、気軽だ。

しかし、相手を評価したり、話の対象を相手だけに限定した話は、ナイフで体を
切り裂くような気がします。

話をお互いの話に戻そう。

私は、どうですか?

あなたは、どうですか?

この感じは、ものすごくよい。

「私が主役じゃないといやだ」と泣き叫ぶ子供と君の今言ったことをことの違いってある?

他人を動かしたいとおもっていう言葉を使う人は、同時に他人をやみに突き落とす言葉を知っていることになりますよね。

「コミュニケーションの問題だったということが分かった」という結果

コミュニケーションという言葉は便利だよね。
コミュニケーション・ツールだとか。
範囲が広すぎて、どうにもなんないでしょう。

企画案を書きながら、コミュニケーションのなんとか、何とか感を醸成とか、形式知暗黙知とか書いていると自分ならここに突っ込みをいれるなぁとか思うわけです。

だから、自分が過去に作ったものに思い入れがないのかもしれないなぁ。

「それ、適当にやっておいて」といわれたら

依頼している人は、面倒だからとかじゃなくて
他に優先順位が高いことがあるからのケースもあるよ。

けっして、そう言った人が、考えるの面倒とか、戦略を立てられないとか疑わないように。

戦略みたいなグランドデザインとか、そういったものが上流が落ちてこないなら、自分で立ててみて「これでいいか」と聞いてみよう。
底辺にいてもしていいことだし。うざく思われてもぜんぜんいい。
優先順位がわからない余計なことをしていると思われるか
ないものを補完してくれると捕らえられるか
それはどっちか知らないけど。